私、私を初めて見る人にかわいいと思ってもらえないと思う
どれだけ世界が「自分の価値基準でいい」って言い始めても、そうやって「私のままでいい」と思えるのは自分が所属するコミュニティの中でだけだし
私のことをよく知りもしない人に会ったとき、やっと築き始めてた自分像を自分でためらいもなく壊しちゃうんだよね
どうやってもじぶんをかわいく見せたい
自分の価値基準ってずっと世間の価値基準と一緒だったから、初めて出会う人には世間一般の価値を私に見出してもらうことを優先しちゃうんだよね
自分には何もできない
それは刷り込みのようなもの
私はずっとでぶでぶす
もう誰が言い始めたかさえも覚えていないけど、ちっちゃなころから私の世界ではそれが通念だったし疑いもしなかった
そしてその部類の人はあまり世間から歓迎されてこなかったでしょう
だからいつでも、自分は受け入れられていないような気が拭えないし、知らない誰かからも笑われているんじゃないかと思ってしまう
こう言う風に考えてしまう私込みで、今日まで私と一緒に生きてきたから、悩む、とか相談するっていう次元でもなかった
わたしがこのようであることは疑う余地もないほど大前提で事実だと思ってたということ
ある高校生の日のあさ学校に向かいながら、どうしてわたしは根本的に不安症で、自信がないのか考えたときに
ふっと、
だれかが私をそのようにつくったのだと思い至って泣きそうになってしまってどうしようもなかった
クラスの目立つ男の子だったか、なかのいい女の子だったか、小学生のころ、ともだちが私を「でぶでぶす」なカテゴリーに入れてしまった
わたしもそのカテゴリーを受け入れた
それからずっとでぶでぶす
今の私を作ったのは世間でありわたし自身で
まだなんでもなかったわたしにはわたしのことはもはや思い出せないほどずっと遠く
不安で眠れない夜をすごしたことは?
誰といても劣等感にさいなまれることは?
鏡をみて泣いてしまったことは?
何年も苦しんでいる自覚もないまま苦しまなくてよかった世界線があったかもしれないなあ
そう思うとやりきれなくて、自分自身にも誰かにも怒りをぶつけたくなるけど
これから一生付き合っていくつもりの「わたし」を知ることができてすっきりしたのも確かだった
今でも時々背中が寒くなるような感覚はきえないけど、わたしの不安症はルッキズムというらしくて、名前があるということはおんなじ人も少なからずいるわけで
みんな自分のことをほかの人と比べてよくないと思ってるなら、いったい私たちはだれと比べているんだろうか
虚像をみて勝手にまけているのではないだろうか、なんて
だれにもおびえない世界で生きていきたいし、みんなが好きなことをできたらいいと本気で思う
わたしがわたしのままわたしを受け入れられるように
何年間分のお返しをするために
きょうもわたしはわたしをちゃんと褒めるし、「かわいい」ってちゃんと言うからね。