tamakiA’s blog

はやく世界が終われと願う人の日記

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気づいた時には道化だった。

嘘を吐くのも真実をこぼすのも大差なかった。

「目に見えるものだけが真実とは限らない」と呪文のようにいつもつぶやいた。たまに免罪符のように使ったりもした。

他人の都合のいいように自分を何度も作り変えているうちに、自分という境界はあいまいになったけれど、「自分が何者か」という問いにもさして興味はなかった。

 

人が言っていた感想で昨日のドラマの内容はある程度分かる。ネットニュースの見出しだけ見れば最近の話題にはついていける。新オープンのお店には「雰囲気がいい」と「味はまあまあ」を適度に使い分ける。わからないことは下手に知ったようなふりをするより聞いてみたほうがいい。ひとは説明したがりだから、勝手に教えてくれる。その知識をきりはりすれば、次の誰かとはきっと会話が続く。こうやって生きていくのに、何一つ自分の思想は必要ない。

 

誰かは私のことをやさしいといった。わたしはただ、人の喜ぶことと嫌がることがよく分かったから、常に人には不快に感じる線を超えないように接し、自分に余裕があるときは人が好むことをした。私の行動がもたらす他者の感情をうまく計算していた。人の目も、人の目を気にしていると思われないように殊に注意を払っていた。だからわたしにとって優しさとは、うまく計算してひとを心地よくさせることだと思っていた。