例えば、ぞっとするような恐ろしい夢を見て朝早くに目覚めたとき
あまりおいしくないおかずを大量に生産してしまったとき
自分一人には少しだけ身に余るような「辛さ」を感じるとき、早く季節が変わればいいのにと思う。
時間が経つことが解決に繋がると思い込む
君はまだ私のことを思い出しながらおでんの大根を食べるんだろうか。
私が嫌いだといったあの大根を。
嫌いなものはたくさんある。
おでん、ポップコーン、慣れること、馬鹿にされること、似合っていない服、ジェラート
誰も私を一番にしてはくれないよ
私だって私のことしか大事じゃない。
もしも
もしも
を想像して気分を晴らして
現実を生きていけるような気になって、
そうして
雨が降ったらまた逆戻りなのだ
自分はこんなにも小さい人間だった
何も成し遂げられやしないと
少しだけ泣く。
世界が終わる夢をみた。
世界が終わる10分前から私たちは席についていて、みんな思い思いの方法で世界に別れを告げていた。
ある人はパソコンのデータをすべて消していたし、ある人は世界の終りまで瞑想するといった。
私はというと靴を脱いで、ただ外を見ていた。
ローマに行きたかったのに行けなかったなあ、とかあの子となんとなく仲たがいしたままここまで来てしまったなあとか、せっかく作りおきしたおかずが無駄になったなとか。私は結局終わりが来ることをわかっていても、それに向かって奮起するタイプなどではなく、日常の延長に終わりが来るのだとやっと理解したのだ。最後の最後まで後悔が尽きることなんてない、きっと私には。
そして終わりがやってきたとき、体が宙に浮いて、周りのすべてが宙に浮いて、さっきまで近くにあった何もかもが飛ばされて行って、さっきまでそばになんてなかった大型トラックが飛んできたりして、
でも誰かと組んだ腕だけは離さなかった。
そこだけがあったかくて、これだけはしがみついていようと思った。
怖かったよ、当たり前でしょ。